高湯温泉

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高湯温泉紀行

高湯温泉紀行

高湯はじまり編・晩秋の一切経山を訪ねて

2016/10/某日 | 高湯温泉・吾妻山

信仰の山、吾妻山に神秘の湖を訪ねて

 山形県と福島県の県境に位置し、西吾妻山を最高峰に家形山、烏帽子山、東吾妻山、一切経山など2,000m級の山々が連なる「吾妻山(吾妻連峰)」は、その勇姿から古く山岳信仰の対象とされてきた。山内には今なお“賽の河原”や“天狗山”、“浄土平”、“蓬莱山”、“一切教山”、“経蔵ヶ沼(五色沼)”、“神蛇ヶ沼(鎌沼)”といった修験道にちなむ地名が数多く残されている。

 吾妻山への登山口でもある高湯温泉の程近くにも、三途の川のほとりで亡者の衣類を剥ぎ取るという、“姥神信仰”に基づく“姥堂”の地名や、疫病退散や国家平安など、不動明王信仰に関わる「不動滝」がある。以前紹介した「安達屋」(詳細はこちらのブログを参照)の玄関前にある“吾妻山”の石塔は、かつて奥の院に行けない人々の遥拝所でもあったようだ。
 吾妻山の“浄土平”(詳しくはこちらのブログを参照)の名は、高原植物であふれかえる季節に、極楽浄土を重ねたとも言われる。いずれにせよ、下界と一線を画す聖なる山域への畏怖がそこには込められている。
 人と自然との長いつきあいの中で、我々は山に何を見つめ、登拝してきたのだろうか。古き時代と今とを繋ぐ、その心底に流れる祈りとは何だろうか。そんな想いを再燃させるニュースが突然、飛び込んできた。山が長い眠りにつく冬間近の晩秋、「一切経山 いっさいきょうざん」の噴火警戒レベルが引き下げられ、一部のコースで入山が可能になったという。胸に灯る想いの答えを見出すべく、一切経山の山頂から望む“魔女の瞳”こと、神秘の「五色沼」を目指すことにした。

眺望絶佳の祈りの山、一切経山をあるく

 一説によれば、「一切経山」の名は八幡太郎義家に敗れた安倍貞任が、またはこの地を訪れた弘法大師が、山中に仏教教典の一切経(大蔵経)を埋めたという伝説に因る。今なお噴煙を上げる山は、近年では1893(明治26)年と1977(昭和52)年、2008(平成20)年に大小の噴火を繰り返し、現在もなお火山学者の監視下にある。
 岩礫が広がる山頂は亜高山帯に属し、風が強く積雪の多い厳しい環境から、植生はハイマツなどの潅木が主体だ。しかしそのぶん、見通しに恵まれ絶景が楽しめる。高山植物が分布する山道には、国の天然記念物でもあるネモトシャクナゲの自生地もある。
 山頂までは、高湯温泉方面の不動沢口登山道から絶景の紅葉スポット「不動沢橋」(詳細はこちらのブログを参照)を経由する片道約2時間半のルートがある。が、今回、警戒レベルが引き下げられたのは、その約半分の行程の浄土平を起点とするコース。しかし、山頂へ真っ直ぐ伸びる最短の“直登ルート”は、火山ガスが吹き出す大穴火口に近いことから、引き続き封鎖されている。規制が解除されたのは以前一度訪れた「鎌沼」(詳細はこちらのブログを参照)方面へ伸びる「酸ヶ平」を経由するルートだ。
 幸運にも天気は穏やかな秋晴れ。出発点となる駐車場の案内板によれば、「一切経山」の山頂までは片道約80分とある。防寒具を装備し、吸い込まれそうに爽快な空を仰ぎながら出発。
 まずは分岐している道を「一切経山」の尾根筋に、中腹の火口壁に沿ってひたすら登る。道程では、背後に鎮座する吾妻小富士が刻々と変化していく姿が楽しめる。しばらく歩くと木道が見え、以前、眺めた前大巓(まえだいてん)を背景にした広い湿原が現れた。「酸ヶ平」だ。清々しく開放的なその景色に弾んだ呼吸を整える。

冬の眠りを待つ魔女の瞳、五色沼

 山頂へは、この木道の途中からさらに分岐したルートを、酸ヶ平の避難小屋方面へと進む。避難小屋は、まだ新しくトイレも併設されている。(維持管理費のため使用時は100円寄付)建物内では熟年のトレッカー達が各々、休憩や昼食をとっていた。ここから先の道は足元の悪いガレ場で傾斜もさらに増してくる。
 背後に広がる鎌沼や美しい池塘の景色に応援されながら、額に汗して登ること約20分。心臓破りの急勾配は終了。そこから山頂まではゆるやかな傾斜が続く。この辺りからは視界が開け、右手の眼下に再び火口の形を顕わにした吾妻小富士と福島市街が見えてくる。
 辿り着いた山頂は、安達太良山や磐梯山、吾妻連峰などの稜線が一望できる噂通りの大パノラマだ。岩礫が覆う広場の中央には小山化した石積みの中に“標高1948.8m”の標識も見える。肌を刺す晩秋の風のなか、念願の「五色沼」を眺めるスポットを探す。裏磐梯の同名の沼がよく知られているが、ここの五色沼も光の具合によって水の色がさまざまに変化するという。
 目指す景色は広い山頂の奥にあった。“魔女の瞳”とは、まさによく言ったものだ。蒼い絵の具を溶かし込んだような水と、エメラルドグリーンに発光する水際が深い緑に美しいコントラストを描いている。雲の動き、光の当たり方で刻々と姿を変えるその姿はまさに幻惑めいて、この地に辿り着いた者だけに見ることを許された、神のご加護のようだ。
 うっとりとその景色に見惚れながらも、生身のからだを襲う現実の寒さに身震いし、ほどなく下山(笑)。風も気温も穏やかな下界(?)の「酸ヶ平」で持参した昼食をとる。帰りはのんびりと、眼下に広がる爽快な眺望を友に浄土平まで戻り、冷えた体に恋しい温もりを求め高湯へと急ぐ。

高湯温泉に伝わる2つの開湯伝説 

 ここで高湯温泉の起源についてふれてみたい。1607(慶長12)年の開湯と伝わる高湯温泉は、度重なる厄災や幕末の戊辰戦争での焼き討ちにより、開湯にまつわる詳しい資料や遺構は殆ど残されていない。ここにご紹介するのは、その中において明治維新後に編纂された史書からの一説である。
 高湯温泉の主な開湯伝説は2説ある。ひとつは信夫郡二子塚村で狩猟を営んでいた宍戸五右衛門が、深い山あいで臭気とともに湯花に埋もれた渓流に出くわし、上流に湧き出る温泉を発見したというものである。五右衛門は兄の五左衛門とともにこの地に湯屋を設け、驚くべき温泉の効能を“神の賜物”と感謝し、湯殿神社を建立したと伝わる。
 もうひとつは、伊達政宗の従兄弟にあたる伊達藤五郎成実の家臣、菅野刑部国安の子で、修験者として“般若坊”を名乗った菅野国安によるものである。1585(天正13)年、畠山義継の謀略によって拉致され落命した政宗の父、輝宗の事件のあおりを受け浪人の身となった菅野刑部国安は、遺言で子の国安(のちの般若坊)に菅野家の再興を託した。父亡き後、国安はその命に従い、政宗への謁見のため仙台へと向かう道中、修験道の高僧、“役行者 えんのぎょうじゃ”に拝顔する夢を見る。あまりのその迫真さに、国安はお家再興を断念し、そのまま装束に身を固めて山へ分け入り、夢に出現した場所で授かった心経を読誦したところ温泉が湧き出たというものである。国安が建立したと伝わる「薬師堂」は、高湯温泉の歴史を見守ってきた「吾妻屋」(詳細はこちらのブログを参照)および「安達屋」(詳細はこちらのブログを参照)の間にある高台に今なお鎮座し、この地が見つめてきた人と湯の歴史を確かに語り継いでいる。
 いずれの説にせよ、神仏に帰依し、我欲や争いを捨て多くの人々の心身平癒を求めたこの篤行は、400年の歳月を経てなお高湯温泉の信条として貫かれている。自然へ寄せる感謝のこの祈りが、時代の中で果たしてきた多くの物語については、またあらためてご紹介したい。

私邸気分で愉しむ、貸切風呂と味わいの宿

 今回、お世話になった「高湯のんびり館」(詳細はこちらのブログを参照)は、“吊り橋”のある「信夫温泉のんびり館」(詳細はこちらのブログを参照)の姉妹館として以前、軽くご紹介させていただいた。わずか10室の客室数に対し、宿には敷地内の別館の貸切風呂も併せ6つもの風呂がある。
 チェックイン後、真っ先に訪れたのは別館「一酔」の露天風呂。家族や親戚など、貸別荘感覚で一棟まるまる使用できる建物は、予約がない日は夕刻まで自由に風呂が楽しめる。プライベート感たっぷりの程よい広さは、貸切状態で堪能できることも多い穴場だ。
 常連客からも好評の月替り料理は、食指をそそる彩りや吟味された食材が、目に舌に楽しい趣向だ。和牛にジビエ(蝦夷鹿)、比内鶏に岩魚などの食材を、陶板焼きやカルパッチョ、出来立ての蓋物や焼物という、変化に富む構成に仕立てた料理は、食べ始めから終わりまで語らいの主役だった。
 食後はもうひとつの別館貸切風呂「長命の湯」(50分2,160円)(詳しくはこちらのブログを参照)で、満天の星空と再び贅沢な“混浴”(笑)。ちなみに高湯の露天風呂には、基本的にカランはない。洗髪等には、空いていれば無料で利用できる本館の小さな貸切風呂か、大浴場を利用されたい。 
 翌日の朝食も、卓上で仕上げる楽しい寄せ豆腐が登場。チェックアウト前には大浴場「四季の湯」と、別棟の名物露天「せせらぎの湯」をはしご湯。青磁色の湯面にゆらりと映る見納めの紅葉を胸に留める。
 規制解除となった祈りの山に、念願の五色沼を訪ねた今回。日本人にとって荒ぶる山々は、古く神々の住む世界とされてきた。そこは“やおよろず”と呼ばれる産土神の御座であり、衆生を救済する厳しくも優しい仏の仮の姿でもあった。人々は険しい山を登拝することで心の穢れを祓い、神仏に近付けると信じてきた。信仰の山に育まれ、人々の願いに寄り添い続けてきた高湯の湯。その歴史と温もりは今もなお、神なる山への祈りとともにある。

■吾妻山(吾妻連峰)
日本百名山のひとつ。福島県福島市西部から山形県米沢市南部の天元台にかけて東西約20km、南北約10kmに渡り標高2,000m級の火山が連なる山脈。西吾妻山(2,035m)を最高峰に家形山(1,877m)、烏帽子山(1,879m)、東吾妻山(1,975m)、西大巓(1,982m)、中大巓(1,964m)、東大巓(1,928m)、一切経山(1,949m)などの山々から成る山体。約30万年前から火山活動が始まり最近では1893(明治26)年に、一切経山南麓の大穴火口で大きな噴火が発生し、噴石や火山灰を噴出したとされる。
周辺には磐梯吾妻道路(磐梯吾妻スカイライン)と第二磐梯吾妻道路(磐梯吾妻レークライン)の2本の観光道路があり、紅葉やスキーの時期には多くの観光客が訪れる。湿原巡りの起点となる浄土平(1,580m)は、空気が澄み光害も少ないため天体観測の好適地で天文台が置かれている。吾妻連峰は、ほぼ全域が磐梯朝日国立公園に含まれている。

■不動滝
高湯温泉街から徒歩約30分の山あいにある落差30mの滝。古く吾妻修験者の修行の場であったとされる。 大正年の滝図として残る“高湯三滝”のひとつ。滝へは遊歩道も整備され滝壺まで降りる事ができる。夏の涼、秋の紅葉の美しさで知られる散策スポット。
【問合せ先】024-591-1125(高湯温泉観光協会)

■一切経山
標高1,948.8m。吾妻連峰を構成する山の一つ。福島市と猪苗代町との境に位置する。現在も火山活動を続けている活火山で山頂は岩礫で覆われている。名前の由来は安倍貞任が仏教教典の一切経を山に埋めたという伝説による(埋めたのは貞任ではなく弘法大師や地元の僧などの諸説あり)。

①大穴火口及び旧火口内への立ち入りは引き続き禁止。
 浄土平から一切経山への「直登ルート」は、引き続き通行止め。
②2区間の登山道の通行止めが解除(10月19日より解除)  
 (1) 浄土平~酸ヶ平(すがだいら)
 (2) 酸ヶ平~一切経山
【参考】
・福島県災害対策課ホームページ
http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16025b/adumayama.html
・福島県自然保護課ホームページ
http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16035b/volcano-azmkmd02.html

※ 酸ヶ平避難小屋は利用できます。
※ 浄土平~姥ヶ原~鎌沼~酸ヶ平までは利用できます。
※ 東吾妻山は登山できます。
※ 不動沢登山口、家形山側から一切経山山頂までは登山できます。
※ 残雪期のスキー、スノーシュートレッキング等で入山される場合も、500mの規制範囲内に立ち入らないよう十分ご注意ください。

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