- Takayu Hot-Spring Resort
- Arinomamano ONSEN
高湯よもやま話
高湯温泉の歴史や出来事など…
高湯温泉「温泉神社と薬師堂」
2016/06/20 | 永山博昭
高湯温泉の開湯は慶長12年(1607年)と言われており、その根拠は湯銭という年貢を支払った証文にある。つまり400年前には税金を支払うべき営業形態が高湯にあったという証である。
さてこの温泉神社はもともと源泉滝ノ湯26番の西側石垣の下にあった湯殿神社(ゆでんさまと読む)が起源である。慶長の開湯前からあったと伝えられ、つまり当時の共同浴場滝ノ湯の上手に見下ろす位置にあった。現在の場所に移動したのは磐梯吾妻スカイラインの道路工事と共に移転された。
湯殿神社が温泉神社となったのは、明治初期の廃仏毀釈から薬師如来を守るために、一時的に薬師堂を温泉神社として祀った。その後の大正7年に薬師如来の復興と共に、温泉神社は湯殿神社と合併した経緯がある。薬師如来の入佛開眼は比較的新しく文化年(1804年頃)に行われた。また令和2年(2020年)には木造の新しい薬師如来像が安置され、健康を祈念する参拝客をやさしく見守っている。
そういった経緯を考えると湯殿神社は仏教の入ってくる前の山岳信仰と大いに関係があると考えられる。山岳信仰は自然崇拝のひとつで、山で生活する者が自然に対する畏敬の念を抱き、自然の厳しさや恵みに感謝しつつ恐れ敬う宗教観である。まさに山の温泉地には相応しい信仰であると言える。今は神社としての形態を保っているが、元来はシンボル的な石などであった可能性がある。周辺には吾妻山や湯殿山の石塔があり、関係は大いに考えられる。
高湯温泉は開湯当時から療養泉として温泉を利用してきた。そのため宿での遊行は厳しく制限され、三味線や太鼓などを禁止する「一切の鳴り物を禁ず」という地域内の取り決めもあった。そういった意味合いを考えると、病気平癒を願ずるだけではなく、その元である温泉を祀ってある事に大きな意味を持つ。温泉神社を詣でることは吾妻の山の神を敬い、その神秘な力をお裾分けしていただき心身を健康に導いてもらうという事である。つまり温泉神社(ゆでんさま)に相向かう行為は、吾妻山と向かい合っていることとなる。
最新記事はこちら
- 高湯山温泉薬湯とは?新資料
- 高湯温泉の旅館ふじ屋
- 高湯温泉の秘密~源泉見学会の全貌公開
- 高湯温泉の名物みやげ「湯花」
- 旧米沢街道 李平宿へ至る高湯ミドルルート
- 高湯温泉の新名所「薬師堂」
- 高湯温泉昔ながらの山宿「静心山荘」
- 高湯温泉のSDGsの考え方
- 高湯温泉じゃらん人気温泉地ランキング2021
- 共同浴場あったか湯の新樋完成
- 高湯温泉ショートストーリー「5年目のハネムーン」
- 高湯温泉とNHK朝ドラ「エール」
- 高湯温泉のスキー全盛時代(発掘資料)
- 庭坂湯町と高湯~いにしえからの温泉
- ヌル湯と高湯~いにしえからの温泉
- 高湯温泉 旅館玉子湯 今昔話
- 高湯温泉~湯山人ブログ更新しました7
- 高湯温泉~足湯の効能について
- 高湯温泉~湯山人ブログ更新しました6
- 高湯温泉の西側にある「信夫硫黄鉱山跡」
- 高湯温泉「温泉神社と薬師堂」
- 高湯温泉 春の芽吹きと収穫
- 高湯温泉 冬の日の安達屋旅館2
- 高湯温泉 冬の日の安達屋旅館
- 高湯温泉 冬の日の旅館玉子湯