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高湯温泉ショートストーリー「5年目のハネムーン」

2020/08/08 | 高湯温泉観光協会

【高湯温泉を舞台にした家族の物語】
新婚旅行に行きそびれた夫婦。結婚5年目を迎えて最終的に夫が決めたのは高湯温泉への一泊ドライブだった。理想とはだいぶ違う旅だったが、そこで見つけたものは…
会津若松在住の放送作家で温泉ソムリエの「ほし友実」さんが描く、高湯温泉を舞台にした家族の物語。
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新婚旅行に行きそびれてしまったわたしたち夫婦は、結婚5年目の今年こそは贅沢な旅行をしようと、以前からコツコツお金を貯めていた。

第一候補は、アメリカのセドナ。そこから2時間ほどで行けるらしいグラントキャニオンもぜひ見てみたいと思っていた。
しかし、コツコツ貯めたお金では、資金不足。
セドナがハワイに、ハワイがグアムに、グアムが台湾に…と予算がどんどん縮小され、最終的には一泊二日の国内旅行に落ち着いた。
これは、予算というよりも、わたしの第二子妊娠が決定打となった。まあ、仕方がない。

海外から国内へと変更となり、旅行へのテンションが“だだ下がり”となったわたしは、下調べをする気にもなれず、行き先も宿泊する施設も、すべて夫に任せた。ただ、温泉であるということだけは聞いていた。

旅行の当日、レンタカーに乗って自宅を出発。わたしは4歳の息子と後部座席に座った。都内からは北を目指すらしい。

旅行前、掃除をするのは、わたしの実家のルールだった。子どもの頃、母になぜかと訊ねたことがある。
「旅先から帰ってきたときに、部屋がキレイなほうが、気持ちがいいでしょ。それに、部屋が汚かったら、旅先で吸収した良い運気が逃げて行っちゃうわ」母はこう答えた。

それからわたしも旅に出る前は、掃除をするのが習慣となった。
その日も朝早く起きて、一通りの掃除、洗濯、植物に水をあげ、ゴミ出しをした。
だから、車に乗ると、息子と一緒にすぐに寝てしまった。

「レン、ママ、外見てごらん!」
どちらかというと、いつもぼそぼそと喋る夫が、声を張り気味にそう言った。
息子とわたしは、体をビクッとさせて起きた。

「ねぇ、ここ、どこ??」
「磐梯吾妻スカイライン。これから、どんどん標高が高くなるよ」
グルグルとした山道を慣れない夫の運転で進む。普通なら車酔いでもしそうだが、新緑のトンネルを行くせいか、不思議と酔わない。
しばらくすると、雲海が広がった。
「わ〜、ママ!雲が下にあるよ。僕たち、空の上にいるの?雲触れるかな??」

『磐梯吾妻スカイライン』、スカイラインという言葉のごとく、空を走っているような、そんな気持ちになるドライブコースだ。

そうこうしているうちに、また景色が変わる。
「えっ??ここ、日本…だよね??」
むき出しの山肌が荒々しくそびえ立つ荘厳な光景に圧倒された。

「家から3時間で来れるアリゾナだよ」夫がそう言った。
「アリゾナ?」
たしかに、この光景だけを切り取れば、アリゾナにでも行っているかのような写真になる。
「アリゾナとは、よく言ったものね」
わたしがそういうと夫が笑った。
「あっ…」
わたしは、このとき初めて、夫がここに連れてきてくれた理由が分かった。

当初の旅の第一候補だったセドナは、アメリカのアリゾナ州にあるパワースポットだ。

なんだか急におかしくなって、笑ってしまった。
「笑いすぎ!」夫はそう言ったが、わたしが気づいたことにまんざらでもない様子だ。

アリゾナ的な光景をしばし堪能し、車は磐梯吾妻スカイラインをゆっくり下った。
「くさい!おならの臭いがする。パパ、おならしたでしょ!!」
「してない、してない!!これは温泉の臭い」
車の窓を閉めているにもかかわらず、しっかりとした硫黄の匂いが漂った。
「もうすぐ旅館に着くよ」
かなりの山奥に、ひっそりと小さな温泉街が現れた。
夫はある一軒の旅館の前に車を停めた。
「高湯温泉??」
「俺も初めてなんだけどね。めっちゃリサーチして、ここにした!」
いつもは、旅行の下調べはわたしの役目。
夫がどれだけのリサーチをしたのか、お手並み拝見といこうじゃないか!わたしは、そんな気持ちで旅館の中に入った。

女将らしき女性が、食事やチェックアウトなど、泉質など説明しながら、部屋に案内してくれた。そういう説明は、夫が全て聞いてくれるから、といつも聞き流してしまうのが、わたしの悪いクセである。その代わり、建物やそこから見える景色をチェックする。歴史を感じるその旅館の建物は、キレイに手入れされ、趣があった。窓からは、源泉が湧き出しているのが見えた。

女将が明るいうちの露天風呂を勧めてくれたので、夕食の前に入ることにした。
4歳の息子は、「僕、男だからパパと入る!」そう言って、男湯に行ってしまった。
ふだん、わたしと入っているのに、大丈夫だろうか?ちょっぴり寂しさを感じながらも、数ヶ月ぶりの一人に入浴にわくわくした。

大浴場の引き戸を引くと、そこには、青白く濁ったお湯がなみなみと揺らいでいた。
こんなにも色濃く濁った温泉に入るのは初めてだった。
熱くもなく温(ぬる)くもない、ちょうどいい湯加減。
お湯には、湯の花が浮いていた。温泉成分が濃いことの証だ。
硫黄の香りに包まれながら、岩と緑だけで構成された景色を眺める。
はぁ〜と長いため息をついた。
目を閉じると、風に揺れる葉の音や、鳥のさえずりが聞こえてくる。

「ママー、僕あがるよ!!」
男湯のほうから、息子の声が聞こえてきた。
「はーい!!ママはもう少し入るね」
久しぶりの一人風呂だ。ここはゆっくりと贅沢をさせてもらおう。
貧乏性のわたしは、この温泉の成分をできるだけ浴びようと、顔ギリギリまで浸かり、何度も湯を顔にも浴びた。
体の芯から湧き出るようなジワっとした汗を感じること十数分。
もう十分だろうと、温泉を出た。

夕食を食べ終えると、慣れない長距離運転に疲れたのか、夫はすぐに寝てしまった。息子も温泉で体が十分にあたたまったせいか、ぐっすり寝ている。
わたしは、このすきに、もう一度、温泉に入った。

月明かりにやさしく照らされた温泉もまた、趣があった。

「あなた、ここ、初めて??」
「ええ」
話しかけてきたのは、60代と思われる品のあるご婦人だった。
「ここはね、秋の季節もいいのよ」
「紅葉も、キレイでしょうね〜」
「もう何年になるかしら。母に湯治をさせたいと思ってきたのが最初で。それからわたしも主人も、すっかりこのお湯のファンになっちゃって。この歳になると、かかとがガサガサになるでしょ。このお湯に浸かったあとは、ガサガサもしばらく消えるの」
ご婦人は流暢に話した。
年に一度、必ずご夫婦で、この温泉地を訪れるらしい。高湯温泉全ての宿泊施設に泊まったという。どこも、それぞれ甲乙つけがたく、毎回、そのときの気分で泊まる旅館を決めているとのことだった。
世の中には、そんな人もいらっしゃるんだな。そんなことを思いながらご婦人の話を聞いた。
「満月のパワーと温泉のパワー、両方いただけるなんて、わたしたちラッキーね」
空を見上げると、まんまるなお月様だった。夜空を見上げるなんて、いつぶりだろうか。街明かりがまぶしい都会に住んでいると、そんな機会も失ってしまう。
「わたしたち、近々いいことありそうね。お先に」
ご婦人はゆっくりと上品に、湯から上がっていった。

翌朝、わたしはもう一度、湯に浸かりたいと、早起きをした。
夫も息子も寝ている間に、最後にゆっくりと温泉を楽しみたかったのだ。

露天風呂に行くと、きのうのご婦人が一足お先に朝風呂を楽しんでいた。
初夏というのに、霧がかかって少しひんやりと澄んだ空気の中、温泉を楽しむのも、また格別だった。
「またお会いできで嬉しいわ。きょう、お帰りになるの?」
「はい。一泊なので、きょう帰ります」
「気をつけてね。お先に」
そういうと、ご婦人はまた先に湯から上がった。
きのうは暗闇で分からなかったが、ご婦人の足には、真っ赤なペディキュアが丁寧に塗られていた。なんておしゃれなんだろう。きっと旦那さまも素敵な方なんだろうな。一瞬でご婦人の洗練されたライフスタイルが想像できた。

「ただいま〜」
一泊二日の旅行を終えて、わたしたちは家に着いた。
掃除をして出た部屋が清々しかった。母が言うように、旅先で吸収した運気が、しっかりと定着してくれそうな、そんな気がした。

車の中で寝てしまった息子をベッドに運び、リビングに戻ってきた夫が、ボソボソっと言った。
「いつか、アリゾナ行こうな」
あのご婦人が言った「近々いいこと」とは、このことかもしれない。
アリゾナか〜、セドナか〜、いつか行けたらいいな〜。そう思ったけれど、わたしは夫にこう返した。
「今度は、お腹の子と4人で。また日本のアリゾナに行こうね」

わたしの体から、まだほんのりと硫黄の香りがした。

【取材・文】ほし友実
【取材協力/写真】高湯温泉観光協会
◆ほし友実さんってどんな人?/インタビューはこちら

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