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高湯よもやま話
高湯温泉の歴史や出来事など…
高湯山温泉薬湯とは?新資料
2024/09/07 | 永山博昭
神奈川県逗子の郷土史家の進藤様より問い合わせをいただいた。
明治時代に中郡大磯町の高麗館という宿が「岩代国(福島県)信夫郡高湯山温泉薬湯を製造し温泉とした」と大磯郷土資料館だより41号に記載されているが、この高湯山温泉とは現在の高湯温泉であると思われる。しかし「薬湯を製造し温泉とした」という意味は何でしょうか?という内容であった。
写真上は光明館の明治31年4月22日付横浜貿易新聞広告「高湯山湯」の表記がある。
当時の高湯温泉では温泉の濁り湯の元である「湯花」は薬として扱われており、広く卸販売されていた。今でも土産物として旅館の売店で乾燥湯花が販売されている。高麗館ではこの湯花を投入して薬湯として温泉営業をしたものと思われる。
高麗館の薬湯効能書はまさに高湯温泉の効能書であり、現在の厚生労働省による温泉掲示内容と一致する。
信夫郡高湯山温泉とはまさに高湯温泉のことであるが、より奥州の山深い温泉地を強調するために高湯山と表記したのかもしれない。信夫高湯という温泉地名は昔からされていたが、高湯山という言い方はいまだかつて無い。
当時の新聞に高麗館の温泉広告が記載されており、発行年が分からず広告の年月日を特定できなかったが、郷土資料館の鈴木学芸員により広告掲載紙の後ろに記載されていた大磯駅と平塚駅の汽車時刻表によって、明治32年2月から明治33年5月と特定している。
明治32年(1899年)と云えば、福島県令に着任した三島通庸が高湯の温泉を麓の庭坂村まで引き湯し、湯町という歓楽街を作ったのだが、引湯管の劣化などにより廃湯となった明治31年の翌年である。湯町は13年間営業を続けた。
山深い高湯温泉まで行かなくても、福島駅の町場から馬車でたどり着ける湯町は、温泉の湯質とともに楽に行ける平地の温泉場として知られる人気温泉歓楽街であったのだろう。
別資料として相州鎌倉材木座町の光明館の新聞広告を紹介する。料理屋旅館としての新聞広告であるが、衛生の好適地として海水湯(塩湯)、草津湯、高湯山湯を用意しているとある。
中写真は明治32年~33年頃の高麗温泉新聞広告の翻刻図2
下写真は明治33年発行の鎌倉郡名所旧跡誌にある光明館広告。
この時代は薬湯として、湯花を用いての温泉営業が盛んであったのであろうか。
それにしても風光明媚な神奈川県の療養地で、高湯山湯を利用していただいたのは大変誇らしい気持である。
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