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高湯よもやま話
高湯温泉の歴史や出来事など…
高湯温泉と東北の歌人・斎藤茂吉
2006/12/27 | 永山博昭
<高湯温泉と斎藤茂吉>
明治十五年、山形県金瓶村(現上山市)生まれで正岡子規門下の伊藤左千夫に師事した。アララギ派の代表的歌人で「赤光」「あらたま」「白き山」などの歌集を発表した。「柿本人磨」の業績で帝国学士院賞を受賞し、精神科医で青山脳病院長を務め、長男は精神科医でエッセイストの斎藤茂太氏、二男は作家の北杜夫氏である。
第一歌集の「赤光(しゃくこう)」を出し歌人的な名声を高めた三年後の大正五年に、親交のあった福島市瀬上の歌人・門間春雄を訪ねた。門間の妹・丹治千恵が寄せた文には、大正五年七月二十日に瀬上に着いた茂吉が福島に十六日滞在し、高湯には七日間いて門間と温泉で親しく過ごした事が記されている。滞在した温泉宿・吾妻屋には茂吉の詠んだ吾妻の歌二首と扇が現存し、当時の交流の証となっている。
<吾妻山の斎藤茂吉歌碑>
磐梯吾妻スカイラインの頂上にあたる吾妻小富士南側の桶沼畔には、斎藤茂吉歌碑が建っている。これは茂吉の死後の昭和二十八年五月三十一日に、福島市の有志が茂吉を偲び歌碑を建てた。除幕式には約二千三百人が出席し、長男茂太さんが序幕を行った。
この歌碑は長年の風雪に晒され土台が崩れ石碑は転げ落ちていた。登山者などから修復を望む声があがっていたが、修復所管は国か県か市かなどと意見が分かれ、修復主体者の特定が出来ずにいた。そのための資料を探していたが吾妻屋の蔵から「茂吉と吾妻」という冊子が発見され、これが元に歌碑建立の経緯が明らかになった。
その結果、県と市が協力をして高湯温泉観光協会が修復事業主体者となるのが望ましいとして、平成十八年十一月に修復工事を行った。現在は綺麗に修復整備された歌碑を仰観ることが出来る。
<冊子・茂吉と吾妻>
今回の歌碑修復のための資料として、半世紀ぶりに日の目を見た冊子であるが、茂吉と吾妻山に関する詳細な資料発見は初めてで、茂吉の吾妻山への思いや高湯温泉とのつながりも明らかになった。また歌碑建立についての福島市の有志達の具体的な行動なども記載されており、あらためて資料として後世に残すべきと強く感じた。
幸い予算も付き資料印刷の目処もついたが、単に観光PR的な印刷物は望ましい物ではなく「茂吉と吾妻」復刻としての資料作りとした。
完成した再編「茂吉と吾妻」は新文も加え四十八ページ二千部の刊行となり、装丁もそれらしく落ち着いた良いものに仕上がった。これらは多くの方々に目に触れる様に図書館など関係所管に配布したので、機会あれば是非手にとってご覧頂きたい。
<最後に>
今回の高湯温泉と斎藤茂吉については、機会あって先人の資料などに触れることが出来た。そういった文を読み込むと、先人達の吾妻への思い入れと慈しみを大いに感じる事が出来る。
当時の吾妻の風景と今の風景は違いは無いのであるが、この思いは現代の我々よりも昔人の方がむしろ豊かだったのであろうと感じた。吾妻大権現の山岳宗教の歴史もあるが、普段の生活の日々の中で吾妻を見上げ、事あれば入山するという感覚は今以上に身近な時代であったのかもしれない。
【写真上】修復後の斎藤茂吉歌碑~平成18年11月
【写真下】「茂吉と吾妻」再編復刻版~編集発行は高湯温泉観光協会
◆アクセス/東北道福島西IC~R115経由高湯温泉~スカイライン~30分
◆温泉情報/ 高湯の温泉情報
/高湯温泉の源泉かけ流し共同浴場
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