高湯温泉

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高湯よもやま話

高湯よもやま話

高湯温泉の周辺情報

共同浴場あったか湯の新樋完成

2020/09/28 | 永山博昭

共同浴場あったか湯の、新樋への切り替え工事が9月23日に完了した。
あったか湯の開業当時から16年間、震災などを乗り越えて送湯してくれていた樋であったが、さすがに老朽化が進み湯漏れの原因ともなっていた。入浴営業をしながら新樋の製作を進めていたが、接続切替えも一日で済すことが出来た。 [全文を表示]

高湯温泉ショートストーリー「5年目のハネムーン」

2020/08/08 | 高湯温泉観光協会

【高湯温泉を舞台にした家族の物語】
新婚旅行に行きそびれた夫婦。結婚5年目を迎えて最終的に夫が決めたのは高湯温泉への一泊ドライブだった。理想とはだいぶ違う旅だったが、そこで見つけたものは…
会津在住の放送作家で温泉ソムリエの「ほし友実」さんが描く、高湯温泉を舞台にした家族の物語。
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新婚旅行に行きそびれてしまったわたしたち夫婦は、結婚5年目の今年こそは贅沢な旅行をしようと、以前からコツコツお金を貯めていた。

第一候補は、アメリカのセドナ。そこから2時間ほどで行けるらしいグラントキャニオンもぜひ見てみたいと思っていた。
しかし、コツコツ貯めたお金では、資金不足。
セドナがハワイに、ハワイがグアムに、グアムが台湾に…と予算がどんどん縮小され、最終的には一泊二日の国内旅行に落ち着いた。
これは、予算というよりも、わたしの第二子妊娠が決定打となった。まあ、仕方がない。

海外から国内へと変更となり、旅行へのテンションが“だだ下がり”となったわたしは、下調べをする気にもなれず、行き先も宿泊する施設も、すべて夫に任せた。ただ、温泉であるということだけは聞いていた。

旅行の当日、レンタカーに乗って自宅を出発。わたしは4歳の息子と後部座席に座った。都内からは北を目指すらしい。

旅行前、掃除をするのは、わたしの実家のルールだった。子どもの頃、母になぜかと訊ねたことがある。
「旅先から帰ってきたときに、部屋がキレイなほうが、気持ちがいいでしょ。それに、部屋が汚かったら、旅先で吸収した良い運気が逃げて行っちゃうわ」母はこう答えた。

それからわたしも旅に出る前は、掃除をするのが習慣となった。
その日も朝早く起きて、一通りの掃除、洗濯、植物に水をあげ、ゴミ出しをした。
だから、車に乗ると、息子と一緒にすぐに寝てしまった。

「レン、ママ、外見てごらん!」
どちらかというと、いつもぼそぼそと喋る夫が、声を張り気味にそう言った。
息子とわたしは、体をビクッとさせて起きた。

「ねぇ、ここ、どこ??」
「磐梯吾妻スカイライン。これから、どんどん標高が高くなるよ」
グルグルとした山道を慣れない夫の運転で進む。普通なら車酔いでもしそうだが、新緑のトンネルを行くせいか、不思議と酔わない。
しばらくすると、雲海が広がった。
「わ〜、ママ!雲が下にあるよ。僕たち、空の上にいるの?雲触れるかな??」

『磐梯吾妻スカイライン』、スカイラインという言葉のごとく、空を走っているような、そんな気持ちになるドライブコースだ。

そうこうしているうちに、また景色が変わる。
「えっ??ここ、日本…だよね??」
むき出しの山肌が荒々しくそびえ立つ荘厳な光景に圧倒された。 [全文を表示]

高湯温泉とNHK朝ドラ「エール」

2020/04/03 | 永山博昭

NHK朝ドラ「エール」今週月曜から始まりました。リニューアルした古関裕而記念館も、それとともに賑わっています。
記念館では番組の紹介をしながら、数多くの作曲をした資料が展示され、エピソードなどが無料で閲覧する事ができます。古関裕而さんは譜面と一緒に、絵も多く描いていました。曲に合わせた絵もあれば、絵日記的なものもあります。 [全文を表示]

高湯温泉のスキー全盛時代(発掘資料)

2018/01/21 | 永山博昭

昭和40年頃の高湯温泉スキー時代
当時は高湯スキー場(旧吾妻高原ゴルフ場)と吾妻スキー場(石楠花ゲレンデ、白樺平ゲレンデ、湯花沢ゲレンデ)があり、福島市唯一のスキー場であった両スキー場は大変賑わっていた。まさにレジャースキー全盛時代で、福島市民は高湯スキー場でスキーを覚えて、上手くなったら吾妻スキー場へデビューしたものであった。
繁忙日の高湯温泉行福島交通路線バスは、10台ほども数を連ねてスキー客を運んだものであり、貸スキーは瞬く間にすべて貸し出されて、スキー板の左右の長さが違っていても「それでいいから貸してくれ」というお客がいたほどであった。またスキー場食堂では、カレーライスの玉ねぎを剥くことだけに学生アルバイトを雇うほどの繁盛ぶりであった。 [全文を表示]

庭坂湯町と高湯~いにしえからの温泉

2017/12/24 | 永山博昭

前回のブログ「ヌル湯と高湯~いにしえからの温泉」では高湯温泉の3つの存続の危機の1度目を書いたのだが、今回は2度目の危機をたどってみよう。

戊辰戦争時には米沢藩兵の退却時に、温泉を官軍に使わせないように土湯~ヌル湯~高湯と火をつけて撤退したと伝えられている。高湯では安達屋の蔵だけが焼け残ったと言われ、これが高湯温泉の存続を危ぶまれた1度目の危機であった。
2度目の危機は、明治時代に福島県令に着任した三島通庸の、庭坂村湯町建設時の温泉権乗っ取りである。 [全文を表示]

ヌル湯と高湯~いにしえからの温泉

2017/12/02 | 永山博昭

不動沢を挟んで左岸に高湯、右岸にヌル湯があるのだが、地形図を眺めると二つの温泉は隣合って見える。
その昔は高湯よりヌル湯へ通じる道があり、吾妻山古道はヌル湯が登り口とされた。
高湯からの吾妻登山道は新道と呼ばれ、近年に整備された道である。当時の郵便は町庭坂より配達人が高湯へ午前中に到着し、徒歩でヌル湯へ配達へ。帰路に高湯を経由してポストを確認するという、高湯でのポストは午前と午後の2回投函書を回収したと言われている。 [全文を表示]

高湯温泉 旅館玉子湯 今昔話

2017/04/17 | 永山博昭

磐梯吾妻スカイラインが完成する前の玉子湯。当時は観光旅館ではなく自炊客を受け入れる湯治宿であった。この観光道路の開通により、高湯温泉の営業形態は大きく変わることになる。

元々の屋号は玉屋であったが、お客が温泉の匂いに因んで玉子湯と呼ぶのが通称になり、それを旅館名とした。現在の玄関右脇にある玉子湯の看板裏には、玉屋の文字が見て取れる。
旅館の写真は湯小屋のある現在の庭方面から撮っており、湯小屋は創業150年当時のままの同じ場所で健在である。 [全文を表示]

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