高湯温泉

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高湯よもやま話

高湯よもやま話

高湯温泉の歴史や出来事など…

高湯温泉のカタクリ群生地

2009/05/03 | 永山博昭

画像は温泉公園向かい側の温泉神社に群生するカタクリです。高湯の新緑はまだ早いですが、枯れ野に可憐な花を咲かせています。 [全文を表示]

高湯温泉と吾妻の冬キノコ

2008/12/05 | 永山博昭

12月に入り高湯温泉では連日ミゾレ模様です。まもなく山は雪で閉じるでしょう。

さて現在吾妻の山で取れるキノコはエノキタケとムキタケです。雪が積もってからも採取できるので、エノキタケはユキノシタという別称もあります。また福島市松川町方面では和紙作りの原料となるコウゾの木にも出るので、コウゾタケとも呼ばれています。
作家の庄野潤三は高湯温泉に逗留執筆しておりましたが、旅館玉子湯での「ナメコ取り」を作品として発表しています。番頭が早朝にナメコを収穫して来る話ですが、じつに吾妻の秘湯で暮らす日常生活を描写していて、庄野らしい、また高湯らしい作品だと思います。 [全文を表示]

高湯温泉観光タクシー

2008/03/12 | 高湯温泉観光協会

高湯温泉観光協会ではタクシー会社と提携した「高湯温泉観光タクシー」プランを企画しています。
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吾妻連峰高湯温泉の旅

2008/01/01 | 永山博昭

昭和29年6月~吾妻山抜粋記事
半世紀以上も前の文章であるが、吾妻山と高湯温泉の魅力をよく伝えている紹介文として掲載する。また将来の高湯温泉の方向性として、温泉を大事にしてそれを供給してくれる吾妻の自然への感謝を忘れないためにも、今も変わらぬ高湯先達の記録として残したい。なお磐梯吾妻スカイライン開通は昭和34年である。 [全文を表示]

高湯温泉に「温泉の池」の湯溜り完成

2007/04/03 | 永山博昭

<温泉公園がオープンしました>
高湯温泉観光協会のまちづくりとして整備の進められていた温泉公園が完成し、2007年4月1日より一般開放となりました。 [全文を表示]

高湯温泉と東北の歌人・斎藤茂吉

2006/12/27 | 永山博昭

<高湯温泉と斎藤茂吉>
明治十五年、山形県金瓶村(現上山市)生まれで正岡子規門下の伊藤左千夫に師事した。アララギ派の代表的歌人で「赤光」「あらたま」「白き山」などの歌集を発表した。「柿本人磨」の業績で帝国学士院賞を受賞し、精神科医で青山脳病院長を務め、長男は精神科医でエッセイストの斎藤茂太氏、二男は作家の北杜夫氏である。
第一歌集の「赤光(しゃくこう)」を出し歌人的な名声を高めた三年後の大正五年に、親交のあった福島市瀬上の歌人・門間春雄を訪ねた。門間の妹・丹治千恵が寄せた文には、大正五年七月二十日に瀬上に着いた茂吉が福島に十六日滞在し、高湯には七日間いて門間と温泉で親しく過ごした事が記されている。滞在した温泉宿・吾妻屋には茂吉の詠んだ吾妻の歌二首と扇が現存し、当時の交流の証となっている。 [全文を表示]

高湯温泉の旅と渓流釣り

2006/08/09 | 永山博昭

<高湯温泉と阿部武氏>
渓流釣りで東北の渓々を探っていくと先達の足跡に遭遇する事がある。沢に沿った山仕事の踏み道もそうであるが、紀行文などの著書としてそれに触れる事もある。
そういった釣案内や釣エッセイなどの著作は多くあるが、釣紀行作家としては阿部武は別格であろう。
早くに渓流釣りを紹介した作家であるが、その考え方や洞察力は現代の釣師にも深く訴えるものがある。「川の下にも川があり、川の横にも川がある」という彼の名言を何処かで聞いた方もいると思うが、未だに色褪せることの無い自然観察者としての言葉である。渓流をフィールドとして活躍している現役の山岳関係者からも、彼をいまだに心の師として仰ぐ者は少なくない。
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高湯温泉の給湯方法

2006/05/03 | 永山博昭

<高湯温泉の給湯方法>
高湯温泉では自噴源泉を9か所利用し、自然の落差で浴槽まで引湯してかけ流しています。 [全文を表示]

高湯温泉の源泉

2005/11/23 | 永山博昭

高湯温泉の源泉<その2>

高湯温泉では自噴源泉を9箇所利用し、自然の落差で浴槽まで引湯してかけ流しています。源泉の総湧出量は3,200ℓ/分(2005年現在)です。 [全文を表示]

高湯温泉の自噴源泉かけ流しとは

2005/09/26 | 永山博昭

高湯温泉の源泉<その1>

高湯温泉では自噴源泉を9箇所利用し、自然の落差で浴槽まで引湯してかけ流しています。 [全文を表示]

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